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Tuesday, September 15, 2020

世界は変わったのか 安心して死ねる日はいつ 原爆を背負って(71) - 西日本新聞

 2010年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議。各国政府関係者を前に演説をした数日後、私たちは帰国しました。1週間ほどの米国での活動を終え、長崎から会議の行方を見守ることになりました。

 焦点は、素案の段階で盛り込まれた核兵器廃絶への具体的な工程表が最終合意文書に入るかどうか。結論から言えば、工程表は削除されました。最終合意文書は、00年の「核兵器廃絶への明確な約束」が再確認され、核廃絶に向けた取り組みを「14年に報告する」とするなど、わずかに前進したと思います。でも正直、物足りなさが残りました。

 この年の夏、被爆地は急に騒がしくなりました。8月5日、国連事務総長の潘基文(パンキムン)氏が初めて長崎にやって来たんです。すべての国に核保有と開発を禁じる核兵器禁止条約を提唱する潘氏。長崎原爆資料館を案内した私は、展示されている赤い背中の写真の前で、原爆が何をしたのかを少しだけ説明しました。

「核廃絶に向けて頑張ってください」と国連事務総長の潘基文氏と握手を交わしました

 潘氏はメモを取りながら熱心に聞いていた。被爆地を見て、自分の信念を貫き通す力にしようと考えたんだと思います。国連事務総長で核兵器廃絶を訴え、行動する人は今までいなかったからね。「頑張ってください」と握手を交わしました。その後、潘氏は爆心地に献花し、「核兵器が二度と使われないようにする唯一の道は、すべてを廃絶すること」と犠牲者の前で表明しました。

 翌6日の広島の平和記念式典には潘氏のほか、米国のルース駐日大使も出席しました。原爆を投下した米国の代表が出席するのは初めてで、核保有国の英仏の代表も初参列しました。マスコミは核廃絶機運が高まっていることの表れとし、「世界は変わり始めたのか」と報じました。

 あれから3年。米ロの間で新たな核軍縮の話が出ていますが、いまだに廃絶の道は見えない。「核なき世界の実現」を訴えたオバマ政権下でも、臨界前核実験などを行い、いつでも使える兵器として維持する。

 核兵器にしがみつく国、核を持ち外交上優位に立とうとする国。その構図は今も変わっていない。本当に悔しいね。「核廃絶のその日まで死ねない」と言っていた仲間が、もう何人も亡くなりました。「世界が変わった」と被爆者が確信し、安心して死んでいける日はいつ来るのでしょうか。(聞き手 久知邦)

◆   ◆   ◆

 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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