仮にその姿が視界に入っていたとしても、日本人の多くは気に留めなかったかもしれない。ゴルフファンの枠を飛び越え、多くの人が万感の思いで見届けた松山英樹のマスターズ制覇。余韻漂うオーガスタで、思わぬ形でクローズアップされたのは彼のキャディだった。
優勝を決めた直後、18番ホールの旗竿(ピン)からフラッグを手で外し、コースに向かって一礼したシーン。本人にしてみれば「特別な意味はなくて…… 」と言うくらい自然なことだったが、多くの外国人からすると十分特別に見えたらしい。
わずか数秒のビデオはSNSで拡散され、早藤将太キャディは瞬く間に“時の人”になった。勝った松山が「僕も一緒にできたら良かったかな」と笑うほど。快挙の事実は、そんな心地いいエピソードとともに世界を駆け巡った。
「ウザい」から始まった出会い
メジャー初制覇とPGAツアー6勝目は、彼らふたりにとっては別の意味でも特別だった。2019年にコンビとなってから手にした、初めての優勝だったからだ。
日米のツアーで通算9勝をアシストした進藤大典キャディから、早藤がバトンを受け取ったのは2019年。だが、ボスである松山との関係はもっと古い。出会いは両者の中学生時代にまで遡る。
「“ウザい”から始まった記憶があります」
今から15年前の春、早藤は高知・明徳義塾中に入学した。小学校時代に熱中した硬式テニスを中学でも続ける気でいたが、テニス部は部員数も少なく活発な印象を受けなかった。入部を躊躇していたところ、クラスの友人がゴルフ部に入るという。東京の家族、とくに祖母が打ち込んでいたこともあり、早藤は試しにラケットではなくクラブを持つことにした。
ルールの知識も曖昧で、最初のうちはまともにボールを打たせてもらえなかったが、寮生活の雰囲気は好きだった。6人いた3年生の男子部員。その中でなんとなく勝手に気が合いそうだと思った先輩が、松山だった。
からの記事と詳細 ( 早藤キャディが明かす松山英樹との二人三脚…「いつ来るか分からないチャンス」を掴むため中学から言われていたこととは?(桂川洋一) - Number Web - ナンバー )
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