Pages

Saturday, September 11, 2021

純烈、紅白への強い思い「1年間がむしゃらで頑張った結果の通知表」…インタビュー〈3〉 - スポーツ報知

純烈、紅白への強い思い「1年間がむしゃらで頑張った結果の通知表」…インタビュー〈3〉 - スポーツ報知

 4人組ムード歌謡グループ・純烈が主演する映画「スーパー戦闘 純烈ジャー」(佛田洋監督)が10日に全国公開された。メンバー4人中3人が東映特撮ヒーローの出身で、リーダーの酒井一圭(46)は「歌手デビューする前からの目標で、コロナ禍でスケジュールが空いたことで実現できた」と話した。お尻の丸出しあり、ラブシーンありと大車輪の活躍を見せた後上翔太(34)は「僕だけが特撮出身じゃなかったので変身はうれしかった」とも。映画の話をはじめ、これまで苦労したことや3年連続出場しているNHK紅白歌合戦への意欲のほか、「彼がいなけりゃ純烈はなかった」という白川裕二郎(44)、小田井涼平(50)らのリーダーへの熱い思いなどを聞いた。(ペン・国分 敦、カメラ・小泉 洋樹)

 〈2〉から続く

 * * *

 2018年の初出場から紅白歌合戦には3年連続で出場している。歌手として紅白への思いは強い。

 酒井「紅白って1年間がむしゃらで頑張った結果の通知表です。一生懸命やってきたので出たいです。紅白はコロナ禍で出歩けないおじいちゃんおばあちゃんが、テレビを見てみんな喜んでくれる。続けて出られるようにというのは僕らの最大の目標ですね」

 後上「3年間、12月30日に日本レコード大賞、31日に紅白に行かせていただいて『今年は30日からオフです』っていわれたら、普段はオフはうれしいんですが『マジか~』ってなるぐらい、年末の2日間って僕にとっては夢のような時間ですね。たとえば紅白のオープニングやエンディングのラインアップとかレコ大の最後に客席に座っているシーンはシンプルなごほうびというか『こんな時間過ごさせてもらって、ありがとう。うれしいな』って気持ちになってます」

 白川「やっぱり、結成当時から紅白もレコ大も大きな歌番組に出るのは目標というか夢だったのでね。1回目の紅白はスーパー銭湯をセットを組んでくれて、ファンのおばちゃんまでワーっと出てくれました。スタッフさんも僕らが初出演なので、緊張しないように、ああいう演出にしてくれたのかなと思いました」

 ―昨年は無観客だった。

 小田井「もちろんNHKホールにお客さんが入っていることに越したことがないんですが、紅白に関してはテレビで見る意識が強いからカメラの向こう側に届ける認識があります。お客さんがいない分、客席とステージの垣根がなくなってホールの使い方が特殊になって、僕的にはうれしかったというか『こんなぜいたくに使っていいんやな』っていうのはありました。実は健康センターからの中継を望んでいたんですよね」

 酒井「今年くらい(健康センターは)あるんちゃう。僕らは平成最後、令和最初、観客なしと、何か節目みたいな時に出演させてもらっている。で、今年はNHKホールじゃなく東京国際フォーラム。不思議なご縁ですけど、毎回違うシチュエーションで、楽しく時代の変わり目で出させていただいているなって思います」

 ―歌手デビューして11年、折れそうになった時は。

 酒井「もう11年前か~。古ければ古いほど折れそうでしたよね。結成は07年ですけど、その頃は純烈というのもホヤホヤ過ぎて…。メンバーとかの連携や戦術含め浸透していない。歌うこととか純烈がいることとかに光を当ててもらう時間が必要だったので、いつ別れても不思議じゃない毎日を過ごしていた。特に前半は。健康センターやる頃にはチョンチョロリンで、やっていけるみたいな感じでしたが、キャバレー時代までには『なるべく6人漏れなく行きたい』って思っていました」

 後上「この世界初めてが純烈だったので、折れそうになったことがないんです。デビューした時の衣装が1万円の普通のスーツだったとか、イベントやったらお客さんが3人しかいないとか。そういうもんだなって思ってましたから。それがちょっと3が10になったり、緩やかながらも右肩上がりの10年間だったな~って。3が10に、20になってって。ただ、20を切り取ったら寂しいけど『この前は10だったよ』との比較なのでそこは苦労ないというか…。自分は(芸能)経験なく始めましたが、逆に他の方は戦隊の主人公をやったり、いいことも経験しているのに、お客さん3人とか誰も止まってくれないショッピングモールでのキャンペーンを普通にやっていた。時間がたつほど『すげ~』って思いますね」

 白川「中川博之先生に曲を書いていただいた『幸福あそび』(16年)が、演歌チャートで初めて1位になったんですね。その前までは『夢は紅白、親孝行』って言っていましたが、いつも心が折れそうで、ずっと『いつやめようかな』って考えていました。僕はね、相撲部屋にいてすぐにケツ割ってやめたり、役者もやめてムード歌謡をやろうとなった時、一番に浮かんだのは母親の顔ですよね。相撲部屋をやめた時のおかんの涙ですよね。それを思い出して『ここでまた逃げたらね、母親にすごく悲しい顔をさせてしまう』ってのがあって『幸福あそび』が1位になった時には母親の顔が頭の中をグルグルって回ってしまいました。今でこそ“スーパー銭湯アイドル”といっていただいてますが、初めてスーパーでやらせていただいた時には本当にお客さん3人ぐらいしかいなかったり、イベントやっても自分たちの曲を歌っても止まってくれなかったりとか、握手にいっても拒まれたり。そういったことがたくさんありましたね」

 小田井「基本的にはそんなに折れそうになった時はないんですけど、常に折れる覚悟でやっていたので、逆にいうと折れた状態でやっていると、これ以上折れないです。ただ、今でこそマネジャーやサポートしてくれる事務所の方がいて、いろいろやってくれますが、最初の頃はそういうのがまったくなくて、ライブの構成とかもやらなくちゃいけない時もありました。一番、折れそうになったのは1人目(林田達也)の卒業ライブの時。誰も担当する人がいなかったので、自分で手を上げて音響作りから照明まで全部やりました」

 ―一人でやった。

 「はい。ホールの照明さんには『ライトはつけると消すだけで色は変えなくていいです。僕がタイミング出したら消して下さい』って、歌った後に裏に回って合図送ってましたもの。ただ、終わった後に彼が『小田井くん、お疲れ様でした』ってファンからのプレゼントを両手で抱えて帰っていったんですよ。その時にはさすがに力が抜けました。精神的にも肉体的に疲れましたね」

 〈4〉へ続く

 ◆純烈(じゅんれつ) 2010年6月に「涙の銀座線」でデビュー。グループ名は「純粋であり、かつ強く正しく節操や分別がある」という意味が込められている。2018年「プロポーズ」がヒットし同年のNHK紅白歌合戦に初出場し、以来3年連続で出場している。メンバーは6人でスタートしたが現在は4人。

 ◆酒井 一圭(さかい・かずよし) 1975年6月20日、大阪府出身。46歳。186センチ、93キロ。AB型

 ◆小田井 涼平(おだい・りょうへい) 1971年2月23日、兵庫県出身。50歳。188センチ、80キロ。A型。

 ◆白川 裕二郎(しらかわ・ゆうじろう) 1976年12月11日、神奈川県出身。185センチ、74キロ。A型。

 ◆後上 翔太(ごがみ・しょうた) 1986年10月23日、東京都出身。34歳。179センチ、68キロ。O型。

Adblock test (Why?)



2021-09-11 03:00:00Z
https://news.google.com/__i/rss/rd/articles/CBMiNGh0dHBzOi8vaG9jaGkubmV3cy9hcnRpY2xlcy8yMDIxMDkxMC1PSFQxVDUxMDk3Lmh0bWzSAThodHRwczovL2hvY2hpLm5ld3MvYW1wL2FydGljbGVzLzIwMjEwOTEwLU9IVDFUNTEwOTcuaHRtbA?oc=5

No comments:

Post a Comment