9月10日、英王室の諮問機関による王位継承評議会が開かれ、8日に死去した女王エリザベス2世から新国王チャールズ3世への王位継承が宣言された Photo by Victoria Jones/Pool via REUTERS
チャールズ国王の即位にともない王妃になったカミラ夫人。ダイアナとチャールズの破局を招いた愛人として非難されてから、王室メンバーとして国民に受け入れられるまでの「更生」の道のりを、英紙が振り返る。
ダイアナの暴露から25年余
多くの王が愛人をもち、少なからぬ数の非嫡出子も遺したが、王と結婚し、王妃にまで上りつめた元愛人はほとんどいない。
ゆえに、英国王となったチャールズ3世の妻カミラは、王妃として新たな微妙な領域に踏み込むことになり、それは彼女もよく承知していることだろう。
とはいえ、1995年のあのインタビューでダイアナ妃がチャールズとの結婚生活に「3人目」が存在していると明かし、カミラが批判されてから25年ほどの間に、社会は大きく変化した。
良家に生まれたパーティーガール
カミラ・ローズマリー・シャンドが生まれた家が、まったくの平民だったわけではない。母親のロザリンドは第3代アシュコム男爵の娘で、父親のブルースは元陸軍少佐で、退役後は高級ワイン商になっていた。母方の曽祖母は、エドワード7世の愛人だったアリス・ケッペルだ。
そのように特権と富を有す良家に生まれたカミラとその弟妹は、イースト・サセックスとロンドン中心部で育った。「シャンド家は間違いなく上流階級に属し、地位もありました」と、王室伝記作家のガイルズ・ブランドレスは言う。
カミラは大学へは進学せず、青春を謳歌した。遊ぶのが大好きで、インテリア会社の受付として働いていたが、パーティーで遊びほうけて遅刻したため解雇されたという逸話もある。
チャールズとの出会いは、1965年に社交界にデビューして以降。二人は共通の趣味を持ち、彼は彼女に夢中になったとされる。ポロの試合会場での密会が写真に撮られることもあった。
1979年当時のチャールズ皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズ Photo by TIM GRAHAM/Getty Images
しかし、なぜかチャールズはカミラとの関係を先に進めることに躊躇した。彼女は王族としてふさわしくなかったのだろうか? 彼は確信がもてなかったのだろうか?
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