300年の歴史、40万人以上を集客するお祭りを復活させたのは、その「歴史」だった
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国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている「佐原の大祭」(千葉・香取市)。毎年7月の夏祭り、10月の秋祭りで、日本三大囃子「佐原囃子」の音色とともに、小江戸と呼ばれる町並みを山車が進む。歴史的資源を活用した観光まちづくりの成功事例として紹介されるが、一時は存続の危機もあったという。打開のヒントは古文書を読み解いて見つけた「歴史」にあった。
(*)本稿は『ヒストリカル・ブランディング 脱コモディティ化の地域ブランド論』(久保健治、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
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「このままでは、祭りもできないまちになる」
「お祭りが下火になってきてしまい、祭りがあるのは迷惑だというのが昭和60年ですよね。祭りなんか、もうやらない方がいいという人が多くなっちゃったんです」
佐原商工会議所顧問である小森孝一さんは、当時をこのように語る。小森さんは、大祭をまちづくりの原点とする運動の中心的人物。何よりも大祭を愛する佐原人。大祭があるところに小森さんありだ。そんな小森さんが本格的にまちづくりを開始したのは、自身が経営する会社の代表を務める一方で、東関戸地区の区長として大祭運営の中心を担うことになった時だった。
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佐原の大祭は、小野川両岸にある本宿地区が夏に、新宿地区が秋にと、それぞれが行う祭りの総称で、約300年の歴史がある。ユネスコ無形文化遺産に指定され、各町内がそれぞれの大人形を山車に載せた勇壮な引手と、和楽器のオーケストラと称される佐原囃子、山車の前で披露される手踊りが共演する山車祭りだ。今日では、夏と秋で40万人以上が来場している。しかし、小森さんが責任者の時は、状況が違っていた。
当時、国の機関から大祭に関するアンケート調査の依頼があった時のことだ。
「職員から『皆さん、どうなんですか、お祭りに対して』と聞かれたからさ、『いやあ、皆さん喜んでお金を出してくれていますよ』と、言ったんだ。そうしたら真逆の結果が出てきたわけだ。みんな、やめてもらいたいというのが圧倒的に多かったんだよ。職員から『小森さん、言っているの噓でしょう。みんな、こんなお祭りやめてもらいたいと言ってますよ』と(笑)。これは参ったなと思ってさ。
こんな金を使う馬鹿な祭りはやめてもらいたいと。それで危機感を持ったんですよね。こんなことをやっていたんじゃあ、祭りもできないまちになっちゃうねと。何とかしなくちゃいけない、これは」
大祭を愛する小森さんの中に生じた「祭りもできないまちになる」という危機感。祭りには特別な力があると思っていたが、当時は「佐原のまちづくりをやろう」という声がけをしても、「無理だ」「ダメだ」という否定の議論から始まり、誰も協力をしてくれる状況ではなかったという。
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