「日経平均株価がバブル崩壊後、最高値を更新!」
「バブルはいつ崩壊するのか?」
最近こんなフレーズをよく見かけます。株価指数の伸びを表現するひとつの基準として「バブル」がニュースなどでもよく使われているからでしょう。
経済的インパクトが大きいバブル崩壊は、世界的にもしばしば起こり、チューリップ・バブル(1630年頃オランダ)、南海泡沫事件(なんかいほうまつじけん)(1720年頃イギリス)、ミシシッピ・バブル(1720年頃フランス)が「世界3大バブル」と呼ばれています。
そして、本記事では1990年頃に日本で起きたバブル崩壊に焦点を当ててみたいと思います。どうしてバブルが起こり、どのように崩壊していったのか、当時の状況とバブル崩壊の背景についてわかりやすく解説します。
バブル崩壊までの年表
バブルとは、何らかの要因をきっかけにあらゆる資産が一時的な過熱状態から高騰し、好景気を作り出す状態を指します。そして、やはり何らかの要因をきっかけに過熱状態が冷え込み、それまでの反動で急激な経済崩壊が起こることをバブル崩壊と呼んでいます。 日本のバブルのきっかけやその背景、そしてバブルが崩壊するまでを一目でわかるように時系列でまとめましたので、まずは簡潔に流れを確認しましょう。
年表
年 | 出来事 | 内容 |
1985年 | プラザ合意 |
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1986年~ | 合意後の日本経済 |
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バブル状態へ |
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バブル問題の表面化 |
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1989年 | バブルの調整 |
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1990年~ | バブル崩壊 |
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バブルのきっかけ
1985年:きっかけとなった「プラザ合意」
バブル崩壊の発端は、「プラザ合意」が要因とも言われています。
当時、米国は深刻なドル高に頭を痛めていました。そこで、1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の財務のトップ(日本は大蔵大臣、米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり会議が開催されました。
米国の最大の目的は、為替相場をドル安に転換させることで、製造業を活性化させて輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことです。会議の末、狙い通り各国の大規模なドル売り介入というドル安への足掛かりをつくる結果となりました。これがプラザ合意です。
1986年~:プラザ合意後の日本
プラザ合意前日のドルは1ドル=242円でしたが、翌年には1ドル=150円台まで下落する場面もあるなど、米国の思惑通り円高ドル安となりました。その反面、日本の輸出産業は急激な国際競争力の低下を経験し、深刻な打撃を受け、町工場は相次ぐ倒産に見舞われました。
政府は、輸出産業・製造業を救済すべく、円高対策として、1987年2月までに5回にわたる金融緩和政策を実施した結果、市中金利が大きく低下しました。金利が下がり大規模な融資を受けやすくなったことは、経営立て直しへの足掛かりとなりましたが、余剰資金を生み出す結果につながり、企業は本業への投資ではなく土地や株式を投機的に売買し利益を得るようになりました。
バブル状態とは
~1989年:バブル状態とバブル問題の表面化
好景気と株価や地価の上昇は企業だけではなく個人の含み益も増大させ、消費活動が活発化しました。
一部の投資家や市場参加者は株価や地価の上昇が永遠に続くという期待も膨らみ、冷静な判断・リスク管理が後退することで市場は過熱する一方でした。そのため、実体を伴わないまま泡が膨らむようにあらゆる資産価格が上昇し好景気の状態を作り出したのです。
これが、バブル状態です。「バブル」「バブル期」「昭和バブル」「バブル経済」とも呼ばれ好景気の時代です。
一方でバブル経済は、さまざまな社会問題を引き起こすこととなりました。不動産業者は、「地上げ(じあげ)」行為によるまとまった土地の買い上げから、強引な土地売買の横行が問題となりました。地価の高騰は固定資産税や相続税の支払いに圧迫をかけ、退去を余儀なくされる状況も生じました。
バブル崩壊とその後の経済的影響
1989年:バブル崩壊の要因
政府は、バブル経済によって実際の価値よりもはるかに高騰した株価の水準を調整するため政策を打ち出しました。しかし、これが投機熱に急ブレーキをかけ、加熱した市場に莫大な反動をもたらす結果となりました。
具体的には、1989年5月以降、金融引締め政策を段階的に実施しました。また、地価高騰の抑止策として、全国の金融機関に対して「不動産融資総量規制」の通達を発し、銀行による不動産融資を実質的に制限しました。さらに、土地基本法も整備し土地保有に課税する地価税を調整しました。
1990年~:バブル崩壊
政府の政策により株価や地価が下落し、保有資産を売却しても返済ができない債務者が増加するようになりました。銀行は貸し付けたお金を回収できず不良債権を抱え、融資を渋るようになりました。これにより、企業収益が低下して経営が困難になっても、銀行からの融資が受けられず倒産する企業が増加。消費も低迷し、さらに企業収益が悪化するという悪循環を引き起こし、「デフレスパイラル」の入り口となりました。バブル崩壊後に大きな爪痕を残す結果となったのです。
バブルの予兆はあるのか?
投資家としては、崩壊を伴うようなバブルに予兆があるのであればぜひ知りたいところですが、これには様々な見解があり一重に決定打はないようです。
もしかしたら、現状がバブルであって暴落後にあの時がバブルだったのかと後付けで確認する他ないのかもしれません。ですが、当時を振り返ってみると、予兆と思わしき事実はいくつかあったようです。
- 高騰する株式や不動産など、あらゆる資産価格が急激に上昇し過熱状態になったこと
- 低金利や緩和政策の末、借り入れを増やした結果、余剰資金により投機的な投資活動が増えたこと
- 将来の利益を過大評価し、楽観的な見方をもつ市場心理が生まれたこと
過熱状態を引き起こした後の政府の調整には、かなりの反動が見られたようです。バブルの予兆を見つけることは難しいですが、これらの要素を注意深く観察することで、リスクを把握することができるかもしれません。
おわりに
いかがでしたでしょうか。昨今、日本を代表する指数でもある日経平均株価が2024年3月4日の東京株式市場の終値で史上初めて4万円台に乗せました。バブル崩壊前の記録を超え上昇し続ける日経平均株価を後目に、過熱感があるとの見方もささやかれています。
いったいどこまで伸びるのか、「期待」による上昇も垣間見える中、「株価は上がり続ける」ともいわれたバブルの神話が頭をよぎります。2024年はアメリカ大統領選挙もあり、世界的にフォーカスされる節目の年でもあります。日本の動向も含め、各国政府の動きも注視し、実体経済を確認しながら今後の動向を見守りたいところです。
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