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Sunday, April 28, 2024

【光る君へ】第17回「うつろい」回想 『荘子』に学び、“現実”を物語の力で乗り越え始めるまひろ 「百人一首」にはドラマのキャストがずらり! - 読売新聞社

【光る君へ】第17回「うつろい」回想 『荘子』に学び、“現実”を物語の力で乗り越え始めるまひろ 「百人一首」にはドラマのキャストがずらり! - 読売新聞社

道長との絆、改めてかみしめるまひろ

大河ドラマ第17回「うつろい」。意味深なタイトルです。隆盛を誇った道隆の一家も、その未来は揺れ動き始めています…。今回も先々に向けて含みの豊かなエピソードが満載でした。

悲田院で倒れて意識を失ったまひろ。あわやの状況を救ってくれたのは道長でした。屋敷に運び、ひと晩寝ずの看病をした真相を明かしたのは乙丸(矢部太郎さん)です。これまで、身分違いの恋愛でまひろに負荷が掛かっていることを心配し、道長との縁をずっと快く思っていなかった乙丸。ですが、まひろを思うあの道長の真情を目の当たりにしてしまっては、いかにその乙丸とはいえ黙っていることは到底、できなかったのでしょう。ここも泣かせる場面でした。

ことのいきさつを知り、道長との絆の深さを改めて自覚したまひろ。7年前の廃邸で、「地位を得て、まひろの望む世を作るべく、精一杯勤めようと胸に誓っている」と語ったその言葉を実践しようと、道長がもがいている姿が見えてきました。まひろも、道長にもらった力で再び前に進み始めます。

荘子の「胡蝶之夢」、その“現実”は本当に“現実”なのか

ここでまひろが学んでいたのが『荘子』です。中国古代の思想家荘周のこと。または荘周の著書とされる書物の名を指します。日本でも古くから学ばれていました。まひろが写していたのは「胡蝶之夢」という名高いエピソードです。『荘子』内篇の「第二 斉物論篇」から。 

いつかわたし(荘周)は、夢のなかで胡蝶になっていた。そのとき私は嬉々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくまで飛び回っていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。いったい、荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。けれども荘周と胡蝶とでは、確かに区別あるはずである。それにもかかわらず、その区別がつかないのは、なぜだろうか。ほかでもない、これが物の変化というものだからである。(中公クラシックス「荘子Ⅰ」から)

「現実」を乗り越える物語、への助走

難解ですが、ここは「万物斉同」という荘子の考え方をよく表している一節です。万物斉同とは「人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説。人の相対的な知を否定した荘子の思想」(「三省堂 新明解四字熟語辞典」から)とされます。一見、姿、形は様々でも万物はそもそも一体であり、それが変化したものに過ぎない、ということのようです。些細な立場の違いや自分たちの価値観にこだわって争いや差別を繰り返す人間たちの愚かさに対して、柔らかでユーモアを込めた表現で異義を唱えるのが荘子の魅力です。

道長との成せぬ愛、社会の不正や矛盾、女性であることで受ける差別など、様々な「現実」の困難に直面しているまひろにとって、「現実」から一歩引いて、大きな世界観を見せてくれた荘子の教えは大きな力を与えてくれたのかもしれません。偉大な古典からエネルギーを吸収しつつ、その「現実」を乗り越える物語の創作への助走、を思わせました。映像でも何度も蝶々が強調され、まひろにとって重要な学びであることを暗示していました。

「まひろの文章表現が持つ力」を見せてくれたさわ

そこに訪れたのが石山寺の一件以来、疎遠になっていたさわ(野村麻純さん)。「やはり真の友はまひろしかいない」と気づき、足を運んで頭を下げました。

まひろが送ってくれた手紙をすべて書き写し、才能にあふれたまひろに追いつこうと懸命に努力したさわ。その営みを繰り返す中で、徐々に人生にも前向きになっていたのでした。その姿はまひろにも大きな気づきを与えてくれました。自分の文章が人に与える力、を客観的に見せてくれたのです。

「筆を取らずにはいられない」

「書くことの何が?」。自分も筆を取ったまひろ。「何を書きたいのかは分からない。けれど筆を取らずにはいられない」。いよいよ文章表現による創作という道に、自覚的に取り組み始めたようです。「源氏物語」に向かう大いなる挑戦への序章でしょうか。

妄執の道隆、一条天皇は冷静に

妄執、と表現したくなる道隆の晩年の日々でした。井浦新さんの迫真の演技に息をのみました。息子の伊周に強固な権力基盤を継承しようと、一条天皇に対して、伊周を内覧(関白に准ずる職掌)や関白の地位に就けるよう直談判します。ところが、天皇は道隆の思うようには動きませんでした。「下がれ!」の場面は、最高権力者の威厳を見せつけました。

「天皇は道隆の言いなりになり過ぎ」という世評をしっかり受け止め、冷静に動いたのは天皇でした。その資質はこのあとにも示されることになります。

「今日を限りの命」、貴子と道隆の別れ

重篤になり、床に臥せった道隆は、妻の高階貴子とともに2人が出会った当時を回想します。そのころ、貴子が道隆に送ったのがこの歌です。

忘れない と
言ってくれましたね
けれどどうしたって
それは難しい
永遠に忘れない などということは
わかっています
だから いまこのときを
極みの命として
散ってしまいたい と思うのです
(河出書房新社「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 02 百人一首 小池昌代訳」より)

貴子の確かな才能を見せた名歌

「儀同三司」はのちに、息子の伊周が自称した官職名。そこからこの名前が取られています。「新古今和歌集」に収められ、「小倉百人一首」に選ばれた秀歌ですので、ご記憶の方も多いでしょう。

「百人一首」には本作キャストがずらり

ちなみにこの歌は百人一首の第54番です。ひとつ前の53番はもうおなじみの「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」(右大将道綱母、ドラマでは藤原寧子)、ひとつあとの55番は藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」です。紫式部の歌は57番。清少納言の父の清原元輔が42番、赤染衛門が59番、清少納言は62番。いかに文芸界の大スターがたくさん登場しているドラマであるかが、こうした事でもよく分かります。改めて今、百人一首に触れたら、享受の目線がちょっと変わるかもしれません。

本題に戻って本歌では「忘れじ」という言葉に、若き道隆の情熱があふれています。そこを「永遠というのは無理ですよ」とまずはクールに受け止めてみせ、「だから今が大切なのです」と反転させ、自らの愛情を示したところに、貴子の早くからの成熟と豊かな文才が鮮やかに示されています。

思い起こせばあの「漢詩の会」(第6回「二人の才女」から)の頃は教養豊かで英明な夫婦として、周辺から尊敬を集めていた2人。この夫婦はあの頃が絶頂だった、と言えなくもありません。

その後、道隆は権力におぼれ、晩節を汚すような形になってしまいましたが、最後にこの歌を思い出したことはせめてもの救いでした。父の兼家も、さきほど挙げた右大将道綱母(藤原寧子)の名歌「嘆きつつ~」と共に世を去りました。時代を偲ばせる、ドラマの作り手のきめ細やかな作意がまた見事でした。

「君かたり」、板谷由夏さんに注目!

「光る君へ」のキャストが、番組公式のインタビューに場面や演技の狙いを語る「君かたり」。今回はやはり板谷由夏さん(高階貴子役)に注目です。「愛した人が、私のラブレターのような歌を詠んで死んでいくって、なんてロマンチックなんだろうと思いました」と振り返っています。2分前後とコンパクトで視聴に役立ちます。↓から動画を見られます。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/movie/
(美術展ナビ編集班 岡部匡志)
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2024-04-28 11:55:00Z
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