「本当にできるのか?」
「『そんなことが本当にできるのか? 無茶だろう? 』。そういうことはずっと言われてきました」 株式会社ファイターズスポーツ&エンターテイメント(FSE)で取締役・事業統轄本部長を務める前沢賢は言った。長く厳しい冬が訪れる北海道で屋外天然芝のスタジアムをつくり、それを基点に街づくりをする。しかも200万都市の札幌ではなく、人口6万人の北広島に。 この世界初のボールパーク構想の発案者であり、推進者であり、責任者でもある前沢のもとには、建設が始まったころでも、「本当にできるのか?」という懐疑的な声が届いたという。 構想の原案が生まれたのは、2010年夏の、ある日曜日のことだった。その日、前沢は折に触れてビジョンを共有してきた三谷仁志(現FSE事業統轄本部副本部長)とともに、休日の球団事務所にこもった。閉め切った一室、スポーツビジネスの世界で知見を積んできた2人はホワイトボードにアイデアを書き出しながら、レポートをまとめていった。 翌月曜日の経営者会議、前沢と三谷は40ページに及ぶ企画書を提出した。「ファイターズの今後を考える」と題されたそのレポートの中にはスタジアムを中心にしたスポーツ都市構想が記されていたが、それは“将来的な課題”として棚上げされた。スタジアムを、それも街ごとつくろうなどとは、まだ誰も想像すらしていなかった。 「創造できないものは、想像できない――」 これは、前沢がこれまでの人生で獲得した真理の1つである。逆に言うと鮮やかに想像することができれば、形にすることができる。そう信じてきた。 そして600億円の巨大事業においては、少年の夢のように朧げなものではなく、確固たる採算に基づいた想像でなければならない。結果として前沢にはそれが描けた。なぜか――。 「自分ひとりでは何もできなかった。一緒にやってくれる仲間と、理解して、協力してくれる人たちがいたからこそ、ここまできました」 前沢はボールパーク事業について、こう語る。 財務のスペシャリストである三谷をはじめ、プロジェクトチームのメンバーや球団内外の協力者がいなければ、青写真は完成しなかったし、着工に漕ぎ着けることはできなかった。 そうした「想像」と「創造」とを繋いでくれた人物の中の大きな1人に吉村浩がいる。
からの記事と詳細 ( 日本ハム新ボールパーク構想はいつ生まれたのか?《総工費600億》巨大な夢に挑む男たちの舞台裏「吉村さんなくして語れない」(Number Web) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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