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Tuesday, November 8, 2022

家族が「来月どうやって暮らそうか」…逆境を経験した小池龍太が見たかった景色【サッカー、ときどきごはん】 - タグマ!

禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し
故事成語はそういうものの
故事成語では不幸のあとには幸が来るとされるが
それが来るまで待つ側はつらい

災害に見舞われ年俸なしでスタートし
何度もたたき落とされもした
それでも次のステージが見えてきた
激動の小池龍太に半生とオススメの店を聞いた

■卒業後の進路が決まらずアマチュア契約に

2009年、中学に進学するとき地元を離れて福島にある「JFAアカデミー福島」に入りました。そのとき「サッカーを職業にする」とか、そこまでの決心があったかどうかは覚えていないんですよ。目標というか夢ではありましたけど、その決心がすごい強いものだったのか……。

「どうすればプロになれるか」というのが分からない状態だったので、「JFAアカデミー」が「プロへの近道」みたいな、そんな言われ方もしていて、その言葉に飛びつくしかなかったというところです。

福島の中学に3年間通いながら「JFAアカデミー福島」でトレーニングしていたんですけど、中学校の卒業式のあと、寮に戻ってみんなで卒業アルバムや思い出DVDを見ているときに東日本大震災が来たんです。最初はそこまで大きな揺れではなかったので「収まるかな」と思っていましたが、一気に大きくなってみんなで外に逃げました。

でも幸い僕たちの年代は卒業式で親が来ていたので、車で来ていた人たちに同乗する形で避難所を回ることが出来ました。大人が多くいたというのはすごくよかったと思います。

震災の影響で「JFAアカデミー福島」は静岡県御殿場市の時之栖に場所を移して活動することになりました。福島で3年間過ごして、地元のみなさんにすごく支援や応援していただいたので、そこから拠点を移すっていうことに対して、自分自身も不安はありました。

自分たちが大切にしてきた場所から引っ越す、福島の方々の近くじゃない場所でサッカーをするっていうのは、僕自身だけじゃなくて、アカデミーの人たちも、日本サッカー協会にとってもすごく重い決断になったんじゃないかと思っています。

高校3年間は、プロにならなくちゃいけないというか、自分の中ではその道しかないと考えていたので、どうやって次へのステップ行く扉を開けるかを常に模索してました。アカデミーからいろんなチームに練習参加のお願いをしてもらってドアを叩きに行かせてもらうんですけど、同級生の中で自分だけはなかなか決まったらなかったんです。

歯がゆさはあったんですけど、僕自身の能力が到底足りてないとは感じなかったんです。クラブの状況、他の獲得選手との兼ね合い、色々あると思いますが、その様な運や状況を覆せる力が足りなかったと思います。

参加したクラブがすべてダメということになりかけたときは、大学や海外のクラブに行く道もいろいろ模索しました。そして最後にレノファ山口にご縁があり、「これが国内のラストチャンス」だと思ってました。それで練習参加させてもらったら評価していただいて加入できることになったんです。でもアマチュア契約ということでした。

アマチュアなのでサッカーしながら働かなければいけないんです。スポンサー企業の会社で働かせてもらうか、サッカースクールで子供に教えるかという選択肢がありました。僕は若かったし一人暮らしだったので、いただくお金が少なくても縛られる時間が少ないほうがサッカーに集中できると思い、サッカースクールで働くことにしました。

山口は入団した2014年こそJFLでしたけど、2015年はJ3、2016年はJ2と昇格していきました。でもJ3への昇格やJ3優勝は僕の力じゃなくて、チームやチームメイトに恵まれたという感覚です。

JFLやJ3のころは、僕自身がまだサッカー選手っていうのはどういう職業なのか、どういう見られ方をするのか、何をしなければいけないか、どうやって生き残っていくのか分かってなくて、ただがむしゃらに走っていただけです

僕はJ3のときまではアマチュア契約でした。J2に上がるときにプロになったんですよ。そのJ2時代の2016年に結婚しました。JFLの途中から妻とは一緒に同じ夢を追っていたというか。

「J1に行きたい」という僕の夢を知って、「ご飯は外で食べるよりも作ったものを食べてほしい」と宅急便で送ってサポートしてくれるような方でした。結婚も「彼女と成功したい」という意味が強かったんです。自分の年俸のことは考えてなかったですね。

J2では全試合に出場して、自分自身でもかなり能力が高くなってきたと自信が付いてきたところで、2017年、J1の柏レイソルからオファーをいただきました。それまでの決断で1つでも違うほうを選んでいたら、今の自分はなかったと思いますね。

柏からオファーが来たとき、ついてきてくれた彼女に恩返し……じゃないですけど、そういう報告ができて2人ともすごく幸せでした。親もすごく喜んでくれて、その顔を見て僕自身もJ1に来るまでの道はすごくやりがいがあったと思いました。

柏に行って、このままずっと柏でプレーしたいと思っていたのですが、2019年に柏はJ2で戦うことになったんです。J2に降格したとき、いくつか移籍のお話しをいただいたんですけど条件に合うクラブがなかったし、柏から国内移籍することは正直考えていませんでした。

ただ昔からの夢だった海外移籍は諦めていませんでした。そして海外に行くのなら柏から移籍したいと、常々クラブにもお話をさせていただいてました。ウインドウが開くとお話があったりしましたけど、やっぱり年齢を追うごとにその数も少なくなってくるのを実感していました。

それで2020年、ロケレンから話が来たときには、「確実にこのチャンスをものにしたい」「サッカー人生の夢をすべてやり遂げたい」と思って決断したんです。

■念願の海外移籍もクラブが破産

ところがその年いっぱいでロケレンが破産してしまったんですよ。普通はなかなかありえないことだと思うんですよね。もちろんそんな経験はしたくなかったですし、今は「面白い人生だ」と笑うことはできますけど、当時はホント笑えなかったですね。

実はロケレンに移籍するとき、自分で移籍金の一部を払ってたんです。そしてロケレンに行くと今度は給料の遅配とか未払いとかが続いて、そのまま破産したんでほとんど年俸を貰えませんでしたね。

収入はほとんどなかった中で家族を養わなきゃいけないというか、生活もあるので最終的には日本に戻ると決めました。

国内に帰ってくるとしたらまず初めに話さなきゃいけないのは柏だと思ってました。でも柏の状況が獲得できるような感じではなくて、それで他のクラブと交渉することになったんです。

実は柏がJ2に降格したとき、F・マリノスからの関心があり、移籍の可能性もありました。加えてロケレンでは元横浜F・マリノスの天野純と一緒にプレーしていたというのもあり、ベルギーにいるときもF・マリノスのサッカーに注目していたんです。

国内でプレーするとき、やっぱり優勝争いをする、自分がもう一つ成長できる、そしてその当時はもう1回海外に行くためにはF・マリノスがいいだろうと思って選びました。

今年は念願の日本代表にも選ばれて、本当うれしかったですね。とにかく自分の2つの大きな目標は海外移籍と日本代表でしたし、日本代表っていう場所は本当に特別な思いがあったので、その夢が叶ったんですよ。

僕自身がうれしかったのもそうですけど、妻とか親とか、そういう周りの人が笑顔になってくれて、それを見ることができて本当に幸せでしたね。

こうやって考えてみると、本当に波乱万丈な人生だと思います。これまでで一番きつかったのは、海外移籍したロケレンが破産したときですね。

アマチュアとしてプレーしていたころは、お金がないとかちゃんとした食事が摂れないとかはあったにしても、自分が我慢すればよかったし、がんばればよくなるということがほとんどだったと思うんです。自分が選んだ道なので、しっかりと地に足つけて取り組もうともがき続けたっていう感じでした。

でもロケレンが破産したときは家族を苦しめてしまいましたからね。自分の貯金をほとんどを使い切って海外に行ったわけで、僕の決断のせいで家族が「来月どうやって暮らそうか」という状態に追い込まれてしまいましたから。サッカー選手、夫、子供の親としてもいろいろ考えなきゃいけませんでした。

やっぱり家族を持つということは、「年俸の未払いがあったらどうしよう」とか、そういうことまで考えなければいけなかった、と。あのときはすごく苦しかったですし、そういう思いはもうさせたくないと切実に思います。

どんなに苦しいときも妻はネガティブなことを言わないんですよ。でも、そのぶん自分自身がその気持ちを強く感じましたし、だからこそもっと、いろいろなことを考えていかなければいけないと思いました。普通、契約したクラブが破産するとは思わないかもしれないですが。

そして今は、やっぱり代表に入り続けるということを新しく目標にしなければいけないと思ってます。1回だけ呼ばれるんじゃなくて、常に日の丸を背負って、いろんな方にプレーを見ていただいて、責任感ある状況の中、重いものも背負っていきたいと、代表に召集されたことで改めて思わされました。

日本代表の右サイドには酒井宏樹くんが戻ってきて、すごく安定感のあるプレーをしてましたし、E-1選手権のときに山根視来くんを見たり話をして、背負ってるものの大きさや難しい試合を経験してきている彼の自信なんかも見えました。

僕も2試合に出してもらいましたが、試合経験を積めば酒井くんや山根くんのようになっていけると思いますし、そうなる必要があると思ってます。ワールドカップのメンバーは直前まで変わることがあるので、何かあったとき自分がすぐ呼ばれるような立場になりたいですし、ワールドカップ終わった後には新しい戦いが始まると思いますから、そこではまず名前が挙がるようにならなければいけないと思っています。

そしてその夢というか目標を叶えるためには、やっぱりクラブで結果を残すところが必然的に必要になってくると思っています。僕はこれまでタイトルをたくさん獲得したわけではないのですが、E-1選手権で優勝してカップを掲げたとき、一番に思ったのは、やっぱりF・マリノスでもタイトルを取りたいということでした。

仲のいい水沼宏太くんとそういう話をしたんですよ。F・マリノスを応援してくださるファン・サポーターにあの瞬間を届けたいって。そしてそれを実現するのは大きな価値があると心から思ったんです。だから僕の今年の目標はその景色を見ることでした–。

■一番のお気に入りは豚キムチラーメン

おすすめのレストランですよね。え? 3つですか?

横浜に移籍加入してきたときから新型コロナウイルスの影響があって、最近はあまり外食できていないんですよ。だからこれまでに所属してきた山口、柏と、あとは出身地の近くの店にしますね。

山口は「維新みらいふスタジアム」の近くにある「蘭々」というラーメン店さんです。そこはご飯を食べに行くだけじゃなくて、大将とママさんにすごくお世話になってて、私生活でもすごくよくしていただいてたんです。

僕が山口から移籍してもずっと毎回試合前にLINEくれて、「今日試合がんばってね」「ケガしないようにね」って常に言ってくれる方たちなんですよ。山口で一番お世話になった「お父さん、お母さん」でした。だから山口に行ったときは絶対寄るんです。豚キムチラーメンが一番のお気に入りです。いつも行列ができてると思うんで、すぐ分かると思います。

柏では結構いろんなとこに行ったんですけど、今でもお世話になってる店を紹介しておきます。「三協フロンティア柏スタジアム」の近くにある「ステーキハウス MOMO 柏店」というステーキ店さんです。

その店は選手みんなから愛されているお店で、ユニフォームなんかがすごくいっぱい飾ってありますし、今も誕生日のときにお肉を送ってくれたりしてくれるんです。そこも店主の方がご家族と営んでいて、今の所属選手だけじゃなくて過去に所属してきた選手もすごく大事にしてくれるんですよ。

とにかくお肉も美味しいので、選手みんなよく試合終わった後とか、力をつけるときに行くお店です。ハンバーグやステーキがどれもおいしいので、その日の気分で食べて大丈夫です。

最後は、僕の生まれは八王子なんですけど、隣町の日野市の思い出の店を紹介しておきます。祖父によく連れて行ってもらった店で「梅之木」というところがあるんですよ。海鮮丼がすごくおいしい店です。いとこの中島翔哉も一緒に行ったりしてました。

祖父はもう他界してしまったんですけど、思い出が詰まった店ですね。すごくかわいがってくれていた店主は今も元気になさってるので、たまに顔を出さなきゃいけないと思ってます。

蘭蘭
ステーキハウス MOMO 柏店
梅之木

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森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。2019年11月より有料WEBマガジン「森マガ」をスタート

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