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Sunday, June 25, 2023

トイレが発明されたのはいつどのように進化してきた - ナゾロジー

トイレはどのように進化したのか?

考古学上の発掘調査で、過去に便所として利用されたことが明らかになった構造物をトイレ遺構と呼びます。

確認されている世界最古のトイレ遺構は、今日のイラクにあった古代メソポタミア文明のテル・アスマル遺跡から見つかったトイレです。

この遺跡は紀元前2200年頃のアッカド王朝時代の宮殿であり、6カ所のトイレの他に5カ所の浴室まで設備されていました。

トイレは煉瓦を「コ」の字型に積み上げた腰掛け式(いわゆる洋式)の便座になっています。

便座の下には溝が設けられ、そこに落ちた排泄物を水で流して、汚物を集める下水管へと送ります。

つまり、現状最古のトイレは簡単な造りではあったものの、すでに水洗式だったのです。

残念ながら、このトイレを発明した人物の名前は歴史の闇に消えてしまいました。

テル・アスマル遺跡で見つかった世界最古のトイレ遺構
テル・アスマル遺跡で見つかった世界最古のトイレ遺構 / Credit: Open Edition Journals(2008)

それから、ギリシア南方の地中海に浮かぶクレタ島で栄えたミノア文明(BC2000〜1400年頃)でも非常に古いトイレ遺構が見つかっています。

こちらは木製の便座からなり、排泄物を流す簡易的な下水道につながっていました。

一方で、古代ギリシアでは意外にもトイレにはこだわらなかったことが分かっています。

個人宅や都市においてもトイレは設置されておらず、ギリシア市民の排泄はほぼ垂れ流しに近いものだったという説があるほどです。

そのせいで町や都市はきわめて不衛生であり、チフスや天然痘などの病気がしばしば流行したという。

しかし、公衆トイレはBC500年以降の古代ローマ時代に一気に花開きます。

古代ローマにはクロアカ・マキシマ(Cloaca Maxima)」と呼ばれる巨大な下水ネットワークがあり、幾重にも枝分かれした下水道は公衆トイレや大浴場へとつながっていました。

これらの公衆トイレはベンチシートに等間隔で穴が設けられ、排泄物はそこから下水道を通り、一カ所に集められたのです。

古代ローマの公衆トイレの遺跡
古代ローマの公衆トイレの遺跡 / Credit: Fr Lawrence Lew(phys, 2015)

ところが、古代ローマの崩壊後(AD476年)はトイレの発達がストップし、ヨーロッパ中で原始的な放便や貯糞式が約1000年も続くことになりました。

中世から1800年末までのヨーロッパの都市では下水が整備されておらず、陶器のオマルに便をして、それを窓から捨てるという場合も多かったとされます。

この期間は衛生史上で「最も不潔な時代の一つ」とされており、黒死病の流行もこうした都市部の不潔な環境に原因があったと言われています。

大英博物館が所蔵する風刺画。1781年のエディンバラの街路でよく知られた危険を描いているとされる。
大英博物館が所蔵する風刺画。1781年のエディンバラの街路でよく知られた危険を描いているとされる。 / Credit:© The Trustees of the British Museum

また、中国社会科学院(CASS)の研究チームはこのほど、同国南部・湖南省の岳陽(がくよう)市にある宮殿跡を発掘する中で、非常に古い「水洗トイレ」の残骸を新たに見つけたと報告しました。

発掘は2022年の夏頃に行われ、便器の一部と排泄物を流すパイプが回収されています。

トイレの年代は、戦国時代〜漢王朝の初期(約2200〜2400年前)にかけてのものと推定されました。

しかも排水システムはそれ以前のものと比べて、より現代型の水洗トイレに近く、当時としては「驚くほど最先端だった」といいます。

研究者によると、この水洗トイレはおそらく宮殿の貴族のみが使えるもので、排泄後は使用人が便器に水を流して排水していたと見られます。

排水は周囲の土壌に流れ込んだと思われるため、土壌サンプルを分析することで、当時の中国貴族の食生活や生活習慣が垣間見えるかもしれません。

中国で新たに見つかった「水洗トイレ」の残骸
中国で新たに見つかった「水洗トイレ」の残骸 / Credit: China.org.cn/Facebook(2023)

そのころ日本では、飛鳥時代(592〜710年)までに水流式便所が登場していました。

これは川の流れの上にトイレを作り、そこに排泄をすることで、川が自然に流してくれるという仕組みです。

これが「川屋」と呼ばれ、転じてトイレを意味する「厠(かわや)」になったと言われています。

また、平安時代には貴族の間で「樋箱(ひばこ)」というおまる式のポータブルトイレがありました。

ただし、平民のほとんどは路地で用を足しており、こちらも地獄絵図となっていたようです。

路地で用を足す平安時代の民衆(餓鬼草紙より)
路地で用を足す平安時代の民衆(餓鬼草紙より) / Credit: ja.wikipedia

さて、ヨーロッパでは暗黒の不潔時代を経て、1596年に近代的な水洗トイレが誕生しました。

エリザベス1世の宮廷詩人だったイギリス人のジョン・ハリントン卿(1561〜1612)が考案し、現代型の水洗トイレの先駆けになったと言われています。

ただこのトイレは1回流すのに28Lの水がかかり(現代のトイレは大洗浄で約4L)、排水パイプが直線だったため、ニオイが室内に逆流してきたという。

ハリントンはこれを自宅や宮殿に設置しましたが、一般層に広まることはありませんでした。

左:ハリントン卿、右:水洗トイレの設計図
左:ハリントン卿、右:水洗トイレの設計図 / Credit: en.wikipedia, commons.wikimedia

それに続くトイレは、1775年にスコットランドの発明家アレクサンダー・カミング(1733〜1814)によって大きく飛躍しました。

カミングは、ハリントン以来の水洗システムを改良するとともに、排水パイプをS字に曲げることで、下水道ガスが室内に流入する問題を解決。

また、史上初となる水洗トイレの特許も取得しています。

左:カミング、右:改良した水洗トイレの設計図
左:カミング、右:改良した水洗トイレの設計図 / Credit: en.wikipedia

そして19世紀末には公衆衛生の知識や啓蒙が進んだことで、大半を占めていた汲み取り式(ボットン便所)から水洗便所へと世界の主流が変わっていきました。

日本では明治時代にしゃがむタイプの和式便所が普及しましたが、1917年に創業した東洋陶器(現在のTOTO)が日本初となる腰掛けタイプの洋式水洗トイレを製造しています。

その後もトイレは進化を続け、現在ではウォシュレットや自動でのフタの開閉、水洗システムまで登場しました。

現代では日本がトイレ最先端の国と言われ、たびたび日本のトイレに驚く外国人の動画がヒットしていますね。

果たして今後、トイレはどのような変貌を遂げていくのでしょうか?

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