ヘブライ語は生きた言語だ。話者は世界中で約900万人にも及び、この言葉を通じてありとあらゆる思考や望みを伝え合っている。
わずか150年ほど前まで、ヘブライ語は古代の宗教文書の中にしか存在しない言語とみなされていた。当時の人々には、今のような事態は予測できなかっただろう。
ヘブライ語が使われなかった期間は約2000年に及ぶ。その間、ユダヤ人コミュニティーは世界各地に散らばり、それぞれが新たな故郷となった土地の言葉を使うようになっていった。19世紀後半の時点では、ヘブライ語の語彙には、ヘブライ語聖書で使われている古風で宗教的な概念を表すものしか存在せず、「新聞」や「アカデミア(学術界)」から「マフィン」「車」に至るまで、多くの単語が欠落していた。
ヘブライ語の近代化に向けた紆余曲折と、今も続く進化をめぐる議論について見ていこう。
生き続けたヘブライ語
ユダヤ人はかつて、ヘブライ語を話すことからヘブライ人と呼ばれていた。ヘブライ語が最も活発に使われていたのは、紀元前13世紀から紀元前2世紀頃、旧約聖書としても知られるヘブライ語聖書が編纂(へんさん)された時代のことだ。ヘブライ語は、最長で紀元前2世紀までは日常生活で使われていたと専門家は考えている。
しかし、紀元前2世紀の始め以降、ユダヤ人は徐々に激しい排斥と抑圧にさらされるようになっていく。ローマ帝国の興亡、中世、ルネサンスなどの時期を通じて、ユダヤ人はヨーロッパ各地への移住を余儀なくされ、それぞれが暮らす国の言語を受け入れていった。ユダヤ人はまた、ヘブライ語、ドイツ語、スラブ語を混ぜ合わせたイディッシュ語などの新しい言語も作り出した。
それでも、「聖書の民」と呼ばれるユダヤ人は、「トーラー(モーセ五書)」を研究・音読するなどの伝統の一環として、聖書を読むためにヘブライ語を学び続けたため、ヘブライ語の書き言葉は主に宗教的慣習を通して1000年以上にわたって生き続けた。
このほか、より教育水準の高いユダヤ人がヘブライ語で書簡を交わしていた例もある。たとえば一部の商人の間では、取引の記録としてヘブライ語が使われていたと、イスラエル、エルサレム・ヘブライ大学のヘブライ語史家メイラブ・ルーベニー氏は言う。10世紀の文書からは、当時は一般的に家事に従事させられることの多かった女性の中にも、ヘブライ語で手紙を書いたり、法的文書を交わしたり、取引記録をつけたりしていた人たちがいたことがわかる。また10〜14世紀のスペイン、アンダルシア地方では、世俗的な詩がヘブライ語で盛んに書かれた。
現代ヘブライ語の父
ヨーロッパのユダヤ人の多くがまだ二級市民の扱いを受けていた19世紀、ユダヤ人の輝かしい過去を通して希望を見出す手段としてヘブライ語に注目しようという新たな運動が起こったと、ルーベニー氏は言う。ヘブライ語の復興論者たちは、これを聖書に記された抽象的な概念にとどまらない、より広く活用できる言語にすることを目指した。彼らの望みは、ヘブライ語を使って現代の出来事や政治、哲学、医学などについて論じることだった。
この運動を率いた人々の中に、現代ヘブライ語の父と呼ばれるエリエゼル・ベン・イェフダーがいた。
ベン・イェフダーは1858年にリトアニアで生まれた。そこで暮らすユダヤ人たちは激しい差別にさらされ、繰り返される暴力的迫害の犠牲となっていた。1878年にフランスのパリに行ったベン・イェフダーは、そこで目撃したユダヤ人の民族主義運動の高まりに大いに刺激を受けた。
からの記事と詳細 ( 2000年間話し手がいなかったヘブライ語、どうやって復活した? - ナショナル ジオグラフィック日本版 )
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