78年前、全国の都市が焦土となった空襲。肉親を亡くしたり心身に障害を負ったりした被害者はほとんどが80代以上となり、救済を求めた人たちの訃報が相次いでいる。志半ばで旅立った被害者はなぜ声を上げ、何を求めていたのか。本紙が取材してきた2人が遺(のこ)した言葉を振り返った。 (橋本誠)
今も思う。親と死んでいれば良かった 戦争孤児・金田茉莉さん
「金田茉莉(まり)さんは、一九四五年三月十日の東京大空襲で母と姉妹を失って九歳で孤児になりました」
今月七日、東京都墨田区で開かれた全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)総会のアピール文。七月十日に八十八歳で急逝した金田さんを悼む言葉を、支援者の浅見洋子さんが...
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