2005年8月、「明子さんのピアノ」の初コンサートは成功裏に終わり、AP通信社から海外にも報じられた。ピアノは平和学習や民間のコンサートなどに呼ばれ、忙しくなった。08年8月5日には、原爆ドーム前でのコンサートが許された。建設会社に勤めていた私の父は、1967年の原爆ドームの第1期保存工事に携わった。父が苦労して修復したドームとの「共演」だった。その帰り道、「ピースボート」のポスターを見かけた。「ピアノが乗って、世界中の人に聞いてもらえたらいいね」と友人に話したら、「夢のまた夢」と笑われた。
2013年7月、初コンサートに協力いただいた音楽事務所の佐藤正治さんから電話があった。「もう8月6日は予約済みですか」。勤務先の校長にピアノを使った平和学習を断られたばかりだった。「空いています!」と叫んだ。8月6日、「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんの母校神崎小学校で、広島市出身のピアニスト萩原麻未さんがピアノを弾き、広島テレビが全国中継した。前日、被爆3世の萩原さんは熱心に明子さんの半生を聞いてくださった。
その後、世界的なピアニストとの出会いが続いた。マルタ・アルゲリッチさんが弾く姿は、ピアノと対話しているように見えた。ピーター・ゼルキンさん(故人)は「この音色は歌心に富んだぬくもりのある人間的な声のようだ」と語った。明子さんがピアノに託した「祈り」が届いたようだった。(HOPEプロジェクト代表=広島市)
(2023年8月22日朝刊掲載)
2023-08-22 04:15:05Z
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