刑務所の中で受刑者の社会復帰を専門とする福祉専門官は、どんな思いで手を挙げたのだろう。2023年4月に横浜刑務所に入職した箱崎ひろみさん(51)は約30年にわたり、病院や高齢者施設で介護士や社会福祉士、ケアマネジャーとして働いていた。
だがこうした施設では、さまざまな事情で残り続ける人や、福祉サービスからこぼれ落ちて倒れて救急車で運ばれてくる人に遭遇した。11年の東日本大震災の時もそうだった。東京都内に設置された避難所で社会福祉士のボランティアを務めた時、身寄りがある人はすぐに出て行ったが、「身寄りがなかったり人との関わりを拒んだり、結局はそういう人が残っていた」と振り返る。
やるせない思いが重なり、「社会から孤立してしまう人の助けになりたい」と考えるようになった。福祉専門官を公募していた横浜刑務所に履歴書を送ったのは「出所後に再び孤立し、罪を犯すことがない環境作りをしたい」と思ったからだ。
「肉親もいない。俺なんかいつ死んでもいいと思っていた」。今年2月、そう記者に口にした70代の男性受刑者は箱崎さんの支援を受けた一人だ。20代から窃盗や無免許運転で何度も逮捕され、10回以上入所。刑務所での生活は計25年を超える。
これまで支援の手を差し伸べてくれる人がいなかった訳ではない。でも面倒くさいと思い一度も受けてこなかった。「ひやかし半分で話を聞こうとした」と箱崎さんと面談。これまでの犯罪歴にとらわれず、「こういう施設なら合いますよ」「体に気を付けて頑張りましょうね」と熱心に声をかけてもらったことが、心にしみた。「社会であまりそういう風に接してもらう機会がないから、うれしかった。ああいう人を裏切ったら人間を辞めないといけない」と真面目に生きてみようと思えたという。出所後はアパートで暮らしながら、箱崎さんに紹介された県外の社会福祉士の支援を受ける予定だ。
箱崎さんは「出所後の環境を整えることで、受刑者の内面の意識が変わっていくと感じた1年だった」と感じている。一方、悔やむケースもあった。知的障害を持つ50代受刑者で、万引きや食い逃げなどの罪を繰り返してきた。受刑中に親が亡くなり、支援の制度についても十分理解できていない様子だったという。罪を犯した障害者や高齢者の社会復帰に向けた出所後支援をする「地域生活定着支援センター」につなげたいと思っていたが、説得は届かず出所した。箱崎さんは「本人が大丈夫だ、と言えば福祉支援サービスを受けさせることはできない」と難しさも口にする。
孤立する高齢者の増加などを背景に、社会に復帰しても再び罪を犯す再犯者率は上昇傾向にある。現実を変えるのは簡単でないとは分かっているが、箱崎さんは言う。「その受刑者の出所後の環境の入り口の一つとして、これからも一人一人にとって最適な支援の選択肢をしっかりと伝え続けたい」【園部仁史】
からの記事と詳細 ( 「いつ死んでもいいと思っていた」 福祉専門官が変えた受刑者の意識 - 毎日新聞 )
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