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Monday, June 1, 2020

サッカー日本代表の活動再開はいつ?JFA強化部会員として欧州クラブとの調整に奔走する藤田俊哉氏に直撃 - @DIME

 5月25日に全国の緊急事態宣言が解除され、6月に入ってからはほぼ全てのJリーグクラブが三密を避けながらの練習再開に踏み切った。公式戦再開も7月4日と決まり、ようやくサッカーがある日常が戻ってきつつあるのは確かだ。しかし、国際間移動の伴う代表戦はまだまだ再開の見通しが立たない。国際サッカー連盟(FIFA)のビクトル・モンタリアーニ副会長が「年内の実施は困難だと思う」とコメントした通り、全てが来年に後ろ倒しになってしまう可能性が高そうだ。
 2月まで活動拠点の欧州に滞在し、ドイツ・オランダ所属の日本代表欧州組の視察に回っていた日本サッカー協会の藤田俊哉強化部会員も再渡欧できなくなってしまった。

「2月20日に帰国して、3月5日前後に再渡欧しようと考えていた時に新型コロナウイルス感染症が一気に広がり、渡航できなくなってしまいました。それからずっと日本にいますが、日中は協会、夕方からはバルセロナの強化スタッフやオランダのクラブ関係者などとオンラインで会議をする日々が続いています。空いた時間には森保一監督就任後の日本代表戦を徹底して見返しましたし、自分が担当している欧州リーグ所属選手の映像も再チェックしました。5月18日からドイツ・ブンデスリーガも再開したので、大迫勇也(ブレーメン)や原口元気(ハノーファー)、遠藤航(シュツットガルト)らの動向は逐一追っています。国際試合の目途はまだ立ちませんけど、どういう形になってもスムーズに活動再開できるように準備すること。それが自分に課された役目だと思っています」と彼は神妙な面持ちで語る。

引退後は海外で監督を目指す

 藤田氏がかつてジュビロ磐田の黄金期を担ったアタッカーだったことは周知の事実だろう。高校サッカーの名門・清水商業から筑波大学を経て、94年に磐田入り。2005年夏までの足掛け12年間の間には、ステージ優勝6回、年間優勝3回を達成。98年アジアクラブ選手権(現アジアチャンピオンズリーグ)王者も経験している。自身も2001年にはJリーグMVPに輝くなど、圧倒的な存在感を誇った。2003年夏にはオランダ・ユトレヒトへレンタル移籍。チーム事情によって半年で日本に戻ることになったが、この経験がのちのオランダに行きにつながるとは本人も当時は考えていなかったという。
 その後、2005年夏に名古屋グランパスへ移籍。2009年にロアッソ熊本、2011年にジェフ千葉へ赴き、2012年6月に現役引退を表明した。1つ年下の名波浩氏(現解説者)のようにJリーグ監督の道に進む同世代の仲間が多い中、藤田氏は「海外で監督になりたい」と宣言。その夢を現実にするため、オランダのVVVフェンロで働くことにした。
「現役時代に知り合ったVVVフェンロのハイ・ベルデン前会長に『指導者になりたい』という思いを伝え、現地に行くことになったんですが、プロサッカーコーチとしての就労ビザが取れなかった。ユトレヒトでプレーした選手時代はクラブからの手続きでに簡単にビザが取れたんですが、指導者だと状況が全く違った。13年の1年間は日本にとどまって策を講じ、起業ビザを取ることにしたんです。『フジタスポーツ』という法人を登記して、日本サッカーへのコンサルティングやハイさんの本業である物流会社『シーコム・ロジスティクス』の支援業務などを計画に入れて事業計画書を提出したところ、やっとOKが出た。当時は情報がなかったのでホントに大変でした」

 2014年1月に渡蘭し、半年間は試行期間を経て、夏からトップチームのコーチに就任した。リザーブリーグ選手の練習や対戦相手のスカウティング、監督のフォローなども任されるようになり、徐々に仕事の幅は広がっていったが、藤田氏は困難な壁に直面した。彼が2012年に取得した日本のS級ライセンスでは欧州クラブで監督になれないという厳しい現実を思い知ったのである。

「日本の指導者ライセンスと欧州のライセンスに互換性がないことが大きな理由でした。僕はオランダ協会やプロコーチ協会に日本のライセンスを認めてもらえるように掛け合っていたのですが、『検討する』と言われるばかり。オランダ(UEFA)のプロ指導者は狭き門なので、あえてそのポストにアジア人を置く必要はないという考え方もあったんでしょう。2017年5月までフェンロで働いたけど、指導者にはいったん区切りをつけることを決めました。
 現場での3年半ではもちろんいろんな経験ができました。選手は日本人よりイエス・ノーが明確ですし、自分の意見をハッキリ伝えてくることも肌で感じた。自分の指示も簡潔に伝えないとダメだということも学んだ。それに言葉が完璧にできないと先が知れていると痛感しました。僕は英語で指導しましたが、もっとオランダ語ができていたらコミュニケーションがより密にできたと思います。算数の九九と同じ感覚で、外国語がスラスラと出てくるような教育が日本にあると最高なのに…と思いました」

 2017年7月からはイングランドのリーズ・ユナイテッドに転職。アジア戦略担当スタッフとして中国進出の拠点作りに携わるなど、欧州クラブを中から見る機会に恵まれた。
「フェンロ時代からイングランド・プレミアリーグを頻繁に見に行っていて、その過程でリーズのオーナーであるイタリア人のアンドレア・ラドリツィアーニと知り合い、働くチャンスを得たんです。年間運営費100億円の規模はフェンロの約10倍。アジア市場にも目を向けていて、中国の中山市という香港に近い都市にコーチを派遣して拠点づくりをするということで僕に白羽の矢が立ったんです。それを皮切りにいろんなネットワークを築けたし、見識も広げられたのは本当に大きかった。働いたのは2年間でしたが、日本代表の仕事にも生かされています」と藤田氏は前向きに言う。

代表強化のために欧州クラブと協会のパイプ役に

 そして2018年9月から現在の仕事に就いた。欧州にたびたび訪れる田嶋幸三会長や関塚隆ナショナルチームダイレクターに「海外クラブ、選手たちと協会とのコミュニケーションを深めながら代表を強化することが、今後、さらに重要になる」と自ら訴えたことがきっかけだったという。協会もそれまでスタッフが欧州クラブを回って選手のチェックや意思疎通を図っていたが、「もっと本格的にやらないと世界で勝てる日本代表を作れない」と藤田氏は強調。専従スタッフ第一号に抜擢されたのだ。

「僕がオランダに行った頃、欧州組は1ケタの数ほどしかいませんでしたけど、自分がフェンロに赴いた2014年時点では圭佑(本田=ボタフォゴ)、真司(香川=サラゴサ)を筆頭に10~20人になっていた。それから5年以上が経過した今はさらに倍以上に増えています。現地で実情をひしひしと感じていた僕は何度も田嶋会長や関塚さんに話をさせてもらい、今に至りました。欧州組の代表招集(主に五輪代表活動)はクラブ側の意向もあって難しくなる一方ですし、協会と欧州クラブや欧州でプレーする選手のつなぎ役になる人間はやはり必要。その考えは日に日に強まっています」

 欧州滞在時の藤田氏はオランダ、ドイツ、ベルギーを中心に選手の視察に足繁く通っている。ある週末は自宅のあるフェンロからイングランドに飛び、ドイツのデュッセルドルフ、オランダのアムステルダム、アイントホーフェンと回って、スペインのバルセロナへ移動するという強行軍をこなしたこともあった。車での移動が1回500~600㎞になることも日常茶飯事。彼1人では欧州全域をカバーすることは難しいということで、2019年夏からバルセロナ在住スタッフが加わって2人体制になったという。

 その彼らも今回のコロナ禍で思うように身動きが取れなくなったが、ドイツを皮切りにようやく欧州サッカー界も動き始めた。6月4日にはポルトガル、11日にはスペイン、17日にはイングランドも再開が決定。リーグ打ち切りになったオランダ、ベルギー、フランスなども予定より早く来季開幕となる可能性もある。そんな状況だけに、欧州クラブとのコミュニケーションをより密にして、強固な関係を構築しておかなければならないのは確か。今年夏に予定されていた2020年東京五輪が1年延期となったこともあり、選手招集に協力してもらえるような下地作りをすること。それが今後の藤田氏に課された重要命題と言っていいだろう。

「コロナで世界中がダメージを受けていて本当に大変な時ですけど、そんな状況だからこそ、スポーツ界、特にサッカーからポジティブな発信が大切になります。人々に勇気や希望を与えられるのがスポーツ。その力を僕自身も再認識して、できることからやっていきたいですね。今回の困難を経験して、危機対応力と柔軟性がこれまで以上に求められるということも痛感しました。目まぐるしく変化する状況をしっかりと見極めつつ、森保一監督や選手たちが確実に活動できるように動いていこうと思います」

 可能であれば6月には再渡欧し、現地での仕事を再開させたいと考える藤田氏。東京五輪で日本が躍進し、2022年カタールワールドカップでは8強の壁を超えられるように、さまざまな形でチームを支えていってほしいものである。

取材・文/元川悦子

長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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