兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で熱戦が繰り広げられている、第105回全国高校野球選手権記念大会。今夏から敗れたチームが甲子園を去る前にベンチ前でグラウンドの土を集めて持ち帰ることが4年ぶりに許可され、大半のチームの選手が記念に土を持ち帰る甲子園の風物詩が再び見られるようになった。
「甲子園の土」を持ち帰る風習がいつ始まったのかは諸説あり、はっきりしない。有力な説の一つは、プロ野球・巨人で通算2351安打を放ち、監督としても日本シリーズ9連覇に導いた川上哲治さん(2013年死去)だ。旧制中学の熊本工業学校(現・熊本工)のエースで中心打者だった1937年、夏の決勝で敗れた後、土を持ち帰り、母校のグラウンドにまいたとされる。
また、戦後に旧制小倉中、小倉高のエースとして47、48年に大会を連覇(48年に旧制中が廃止され現在の高校に移行)し、その後も早稲田大で東京六大学リーグ優勝や、八幡製鉄(現日本製鉄)の都市対抗優勝に貢献した福嶋一雄さん(2020年死去)も甲子園の土を持ち帰った球児として知られる。夏3連覇を目指した1949年に準々決勝で敗退した際に、ポケットに土を入れて自宅の鉢にまいたとされる。
58年には首里(沖縄)ナインが甲子園の土を持ち帰ろうとしたが、当時米国統治下にあった沖縄には検疫の問題で持ち込めず、那覇港で土が廃棄されたこともあった。
新型コロナウイルス禍で選抜高校野球と選手権大会が中止になった2020年には、プロ野球・阪神の選手らが甲子園の土を集め、その土が入ったキーホルダーを甲子園への道が断たれた全国の高校3年生の球児に贈ったことが話題になった。
新型コロナ感染防止対策のため、同年夏の甲子園高校野球交流試合以降も土の持ち帰りは控えるよう指示されていたが、出場校の選手には大会後に土が贈られていた。
鹿児島、京都産をブレンド
選手たちにとってかけがえのない記念品になるのはもちろん、プレーするにあたっても品質が高く水はけも良いと評価される甲子園の土。一体どのように作られているのか。甲子園球場の整備を担当する阪神園芸によると、球場では過去には岡山、三重、大分、鳥取といった複数県の国内の黒土と、瀬戸内海や中国福建省などの砂を使用してきた。
現在は鹿児島県鹿屋市の黒土と京都府城陽市の砂を取り寄せており、これをブレンドしたものが「甲子園の土」となる。雨の日が多い春は砂を多めに混ぜ、夏は球が見やすくなるように黒土を多めに使用するなど、気候に合わせてプレーに最適の土を作っているという。【野原寛史】
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