世界の映画人に井之脇海がインタビューする不定期連載「CINEMA GREET」。第三回目にして、ついに憧れのイ・チャンドン監督と対面。井之脇は大学生の時に『ペパーミント・キャンディー』を見て衝撃を受けて以来、監督のインタビューを隈なく読み、作品を追い続けてきた。特集上映「イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K」のために来日した監督を前に少しだけ緊張気味。様子を察してか、監督が「まずは気軽にお話しましょう」と声をかけ、穏やかな空気の中、インタビューは始まった。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
井之脇海(以下、I) 監督の作品が好きで、今日はとても楽しみにしてきました。僕は俳優をやっているのですが……。
イ・チャンドン(以下、L) もちろん、存じています。評判はお聞きしています。主演の俳優を食ってしまう演技をされるそうですね。『トウキョウソナタ』は見ました。
I 恐れ入ります。実は以前、対談した際、ソン・ガンホさんが「題材そのものよりも、そのモチーフにどんなふうにアプローチしているのか、どんな視線で、どんな角度から見て作ろうとしているのか、そこを大事にして作品を選んでいます」とおっしゃっていたんです。そんなソン・ガンホさんがドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』で「監督の作品ならと引き受けた」と話しているのを見て、どれほど映画人に愛されている方なんだとさらに興味を持ちました。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
L ソン・ガンホさんと対談したんですか。実は昨日、東京に着いて夢を見たんです。普段、ほとんど夢は見ないんですけど、ソン・ガンホさんが夢の中に出てきて、とても幸せそうでした。井之脇さんに会うことを知っていたのでしょうか。
I 不思議な縁ですね。監督は夢にインスパイアされて、小説や映画にしたことはありますか。
L なかったですね。
I 僕は普段、あまり感情が昂ったりしないんです。だけど、夢の中ではものすごく怒ったりする。普段、持てない感情を目覚めてからも覚えているようにしています。罪を犯すようなことは実際にないですが、夢の中ではあります。何度も見て、その感覚を覚えていたりします。罪を犯して、追われたりとか。嫌な夢なんですけど(苦笑)。
L 俳優さんはそうかもしれないですね。私の場合、夢を見ている時に様々な経験をして、いろんな考えが浮かびますし、夢の中で一つのプロットができているようなことがあります。一瞬、「これはすごいアイデアだ。目覚めたら、書き留めなきゃ」と思ったりもするのですが、冷静になってみるとそんなに大したことなかったと言うこともよくあります(笑)。夢というのは潜在意識の中にある欲望など、いろんなものが出てくると思うので、俳優さんにはいいことかもしれないですね。
※映画『ペパーミント・キャンディー』より
I 僕は映画を学ぶために大学に進んだのですが、そこでいろんな海外の作品に触れる機会があり、18歳の時に監督の『ペパーミント・キャンディー』を見て、衝撃を受けました。過去に遡っていく描き方はもちろん、進むにつれて人物像が豊かになって、なぜそういう行動をとっているのかが実によくわかり、見返してみると、もっと面白くなる映画でした。初めて会う人に対して、僕らが見ているのは今、現れている部分しかなくても、それぞれに過去があって、そこをどんどん深堀していく感覚。最初のシーンが変わっていくのが素晴らしくて、大好きです。それ以来、監督の作品を追いかけています。
L ありがとうございます。
I 今日はいろいろ聞きたくて、何から聞こうか、悩ましいです。監督のインタビューはいくつか読ませていただているのですが、まずは映画を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。
L 実は映画監督になろうとは思っていませんでした。韓国の場合、監督になるためには大学に入って学んだり、直接、現場で演出部の仕事に就いたりする手段がありますが、私にはそんな考えは全くありませんでした。監督業は私にとってまるで現実味がなく、考えすら及ばなかったんです。私にとって映画の世界は自分が生きている世界とは別のキラキラした、まさしく銀幕の世界でした。やがて作家になり、小説を書くうち、たまたま偶然、映画監督になることができたんです。ただ、子どもの頃から観客として、映画に対して憧れる気持ちはありました。
I はい。
L 小学校6年生の時、通っていた小学校で映画の撮影がありました。『あの空にも悲しみが』という作品で、隣のクラスにいた子が書いた日記を原作にした映画だったので、私の学校で撮影することになったんです。日曜日に小学校で子どもたちが下校するシーンを撮ると聞き、私は「エキストラとして出演させてください」と願い出ました。エキストラですから、カメラの前に立つという感じではなく、ただ映り込む感じです。でも当時から、映画の世界に入りたいという欲望があったのでしょう。たくさんの子がいるなか、エキストラでもいいから出たいというような生徒はいなかったはずです。自分とはかけ離れた幻想の世界に子どもながら、無意識にも魅かれていたのでしょう。
I そうだったんですね。
L 実は後日談がありまして、その映画は全国民が見たと言っていいくらいのあの頃、大ヒットしたんです。ところが私は出たいとは言ったものの、家が貧しくて、映画館に見に行けずじまいでした。しかもその後、プリントが流出してしまい、後に台湾で発見されるまで、見ることができませんでした。プリントの復元が韓国の映像資料院に届けられて、上映された時、撮影から50年は経っていたでしょうか。その時に初めて、見ることができたんです。
I ええっ、そんなに?
L 雨のなか傘をさしながら、校門から出てくる子どもたち。私はバストアップで、かなり大きく映っていました。他の子が自然と走り去っていくのに対し、私はなぜか傘をさしたまま、ぎこちなく、ゆっくりカメラの前を通っていく。それは自意識の塊でした。カメラの前に立った俳優はまず、自意識を捨てなければならないのに、私は自意識満々でそこにいたのです(笑)。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
I 今、俳優の話になったので、関係する質問をさせてください。やはり『イ・チャンドン アイロニーの芸術』の中で、監督の作品に出たチョン・ドヨンさん、ムン・ソリさん、ユ・アインさんらが、それぞれ「自分から出てくるものを監督は待ってくれた」「監督は一緒に作ってくれた」など、監督のやり方について、様々なお話をされています。監督は役者によってアプローチを変えるのですか。
L 俳優さんごとに立場も与えられた役柄も違います。俳優さんが身を置いている環境も違えば、その時の心理状態も変わってきます。各々の演技のパターンや習慣もあるわけですから、演出する側としても、別のアプローチをしなければなりません。演技や演出の方法なんて数えたら、きっと100万通り以上あるでしょう。「これです」という一つの方法はないような気がします。私ができることといえば、演出家として、俳優さんたちが、演技できるよう助けてあげることぐらいです。何か指導をするとか、ディレクションして何かを引き出そうとか、こちらから主導してできることなんてないと思うのです。例えるなら、俳優さんが思ったように演技できるよう、ドアノブを提供するようなものです。俳優さんたちがドアを開けて、中に入り、演技の内面を自ら引き出せるように、扉を開けてあげる役割。それが演出する側の役目なのかなと思います。開けた先のことは俳優さんがする。私はその手助けをするだけです。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
I そんな風に監督が丁寧に向き合ってくれてこそ、あの作品の表現に繋がっているんですね。僕たち俳優は部屋を作らなきゃいけない職業だと思っています。あるいは僕はよく筒だと考えるんです。中に何を満たすか。筒の使い方は監督にしかわかりません。イ・チャンドン監督の考え方に近いと思います。
L 補足すると、俳優さんが現場に行き、カメラの前で演技をしようとすると、妨げになる要素が実にたくさん、あるんです。本当にいろんなケースがあって、もしかしたら本人の内面にあるかも知れませんが、外からの要素も意外と多く、感情を作ろうとしても周りに邪魔されて、できないこともあります。演出家は少なくとも邪魔をしてはいけません。主演俳優ならまだしも、助演、端役の方になると、現場で疎外感を感じることもあるでしょう。そのせいで集中できないこともよくあります。主演の方は現場にずっといることが多いですが、その他の方は初日に来たきり、次の撮影は数日後だったりする。そうすると現場に慣れなくて、孤独を感じることもあります。でもずっと現場にいる人たちは気づけないんです。「そちらでメイクして」「次、本番です」と慌ただしく撮影して、俳優さんたちが気持ちを作ろうと努力してもできないかも知れない。スタッフはそこまで気が回りません。私は俳優さんたちが現場で不便さを感じないよう、差し障りになることは取り除きたいと思っています。私たちは現場でまず、状況を把握することから、始めなくてはいけません。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
I そんなに俳優をサポートしてくれるなんて、どれだけ、心強いことか。チャンドン組、参加できたら、どんなに幸せなのか……。撮影中、役者が役を自分のものにしていくにつれ、時にはシーンで求められている以上の感情が出てきたり、ちょっと違う方向に役が進んでしまった時など、監督はその場で軌道修正しますか。それとも編集である程度、コントロールするのでしょうか。
L 現場では、シナリオやコンテに書かれていることも含め、私の頭の中に既にある、ある程度、予想できる行動や感情より、それ以外のものが出てくることを望む方ですね。私が思っている通りに撮影が進んだり、私が書いたまま、撮影されたり、無難に進むだけでは満足しません。映画に対する本質的な考えに関係あるのかも知れませんが、思いもよらないものと出会いたいと常に期待しています。必然より、偶然を望んでいるとでも言いましょうか。説明するのが難しいのですが。映画という媒体はそれができるものだと思っています。計画してすることはもちろんありますし、演出する時も決めていることはありますが、現場にハプニングは付き物。その出会いの瞬間を捉えたいとずっと思っています。光線、ちょっとした風に揺れる木、俳優さんたちの思わぬ表情、計算では出ない震えた声。そういう予期せぬことに現場で遭遇したいのです。俳優さんたちもそうでしょう。映画だけが成しうる奇跡だと思います。映画だけが作ることができる本物です。現実だって計画通りにはいかないものです。私たちが要求したものではなく、俳優さんたちが偶然、見せてくれた演技の方を私は大事にしたいです。俳優さんたちにも予想して演じることはあると思いますが、そうじゃない演技が出ることもあるでしょう。そういうものと遭遇できるのが映画の現場。映画にやりがいを感じる瞬間はそんな時です。映画を撮っているんだと実感します。とはいえ、あまりに流れとは違う方向に行ってしまう場合は判断が難しいですが、編集の時に取り除くこともありますし、撮影の時に軌道修正したりもします。
I 「映画で本物を作る」って素敵ですね。監督は役者の状況をカメラで捉える距離感が本当に素敵だなと思っています。悲しい時ほど遠くにいたりしてくれる。本当に芝居をしやすい環境だろうと思いますし、観客にも想像の余地を残しています。コンテがあると聞きましたが、全部、作っているんですか。
L 実は変化があったんです。初期はいつもコンテがあったのですが、作品を重ねていくうち、どんどん削ぎ落としていきました。最初は漫画のようにびっしり自分で絵を描いていたのですが、どんどん省略され、今ではほとんど文字だけのコンテです。
I 監督が真摯に撮ってくれていると俳優は現場で感じるものです。同じことを何度もやるのが仕事とはいえ、その瞬間にしかできないこともあり、難しい時もあります。「絶対にこの位置に立って、この芝居をしてください」という監督もいて、それもいいと思いますし、それも映画だと思います。でも、コンテが無くなって、文字だけになっても、監督がその都度、芝居に最適なアングル探ってくれているということは画を見ただけで、伝わってきます。どう拾ってくれるのか。どのアングルで抑えてくれるのか。確か『グリーンフィッシュ』は三脚を使って、撮られていますが、その後は手持ちのカメラが増えていますよね。それも作品の自由度に繋がっているのですか。
※映画『オアシス』より
L その通りです。カメラもだんだん自由に変わっていきました。おっしゃる通り、『ペパーミント〜』までは手持ちもありましたが、三脚の上にカメラを固定して、撮ることが多かったのです。『オアシス』以降はほぼ手持ちです。決めた通りに取るのではなく、現場で感じたまま、自分が動かされたまま、登場人物の感情を追っていくような撮り方になっていきました。
I 確かに『オアシス』から、そうでした。
L カメラと人物の距離について、聞いてくださいましたが、人物の感情をどう自然に映すべきかと同時に、人物を映す時には倫理的な態度も非常に関係があります。それもまた大切なことです。
I どういうことでしょう?
L 例えば、非常に痛ましかったり、苦しかったり、悲劇的な場面。『シークレット・サンシャイン』では死んでしまった子供の遺体と向き合う母親の姿を遠くから撮っています。本来なら、近くに寄るものでしょう。人の心理として、表情を見たいと思うはずです。映画というものは、他人の人生を覗きたいという好奇心に基づいているものですから、その点ではもっと近づくべきなのです。でも、私はあの場面で近くに行けませんでした。最小限の倫理的な態度というのか、あそこで距離を置くべきだと思ってしまったんです。人間本来の生々しい姿を、映画で真実味を持って描く場合、どんな手段を取るかで作品自体も変わってくる気がします。選択肢の選び方一つで、映画の性格も変わってくるように思います。
※映画『シークレットサンシャイン』より
I 先ほどのドキュメンタリーで、『シークレット・サンシャイン』のカフェがセットだと知り、驚きました。小説は字で事細かに表現しますが、映画の脚本ではそこまで描かないことが多いと思います。でも、監督の映画を見ると、脚本に既に匂い、空間の感じ方、あの時、風がどうだったとか、そこまでイメージがしっかりあるように感じます。小説と映画の脚本で、書き方に違いはありますか。
L 小説を書く時、私はたった一人だけの読み手のことを考えて文を書きます。顔も分からない、名前も知らない誰か。しかし文章を書いている瞬間、私の感情と考えに共感し理解してくれる誰かを対象にまるで手紙のように文章を書きます。それほど主観的で内密で私的であり、正直でもあります。しかし、映画のシナリオは個人ではなく集団を相手しなければなりません。私の感情や考えよりも、多数の観客がどう受け止めるかをまず考えなければなりません。主観的というよりも、客観的でなければなりません。シナリオの執筆で最も難しい点は、実体のない集団を対象にコミュニケーションを試みなくてはならない点です。
I 監督の短編集「鹿川は糞に塗れて」を読みました。特に最初の3作(「本当の男」「龍泉(ヨンチョン)ベンイ」「運命について」)は一人称で、監督個人の話に近いように感じるのですが、小説には自分の経験をどこまで反映しているのですか。映画はどうでしょう?
L それは作品ごとに違うような気がします。作品集に載っている中にも、私自身の経験がたくさん反映されているものとそうでないものがあります。おそらく「本当の男」と「龍泉(ヨンチョン)ベンイ」が私的な経験が一番反映されていると言えます。しかし、私自身の話だとしても想像力による虚構と混ざっているので、完全に私の経験として自ら区別することは難しいと思います。
※新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』より
I 最後にもう一問だけ、いいですか。『イ・チャンドン アイロニーの芸術』はフランス人映画作家アラン・マザールさんの作品なので、監督の意図ではないかもしれませんが、『ペパーミント〜』のように現代から過去に話が進んでいきます。『ペパーミント〜』のことを以前、監督が過去を回想するのではなく、過去に進んでいく物語とおっしゃっていたのが印象的でした。自分の人生を過去に進むドキュメンタリーを経て、新しく見えたものはありますか。今後、手掛けたい作品はありますか。
L 今回のように作品を遡ってみるような手法を取らないまでも、映画や小説の文章の中で、自分の過去、子ども時代を書いてみたいと思うことが何度かありました。私に限らず、誰もがそういうものを作品にしてみたいという欲望があるのではないでしょうか。最近なら、『ROMA/ローマ』『フェイブルマンズ』などがありましたよね。機会があるかどうかはわかりませんが、私も多分に漏れず、幼い頃の話を書いてみたいと今回、改めて思いました。ただし、韓国では難しいかもしれません。韓国は休む間もなく、空間がどんどん変わってしまうので、当時の風景はまるで残っていませんし、作品を撮ろうとすると予算が膨大になってしまいそうです。
I 見てみたいです! 監督は「映像に映っているものがあるということは映っていないものがある。それを感じさせるのが映画」って、おっしゃっていましたよね。映っているものだけでなく、全体に流れている空気も含め、大事にしていらっしゃることが映画からも伝わってきます。作品、楽しみにしています。
Photo: Zenharu Tanakamaru Styling: Kentaro Higaki(tsujimanagement) Hair & Makeup: TOSHIHIKO SHINGU(vrai) Text: Aki Takayama
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韓国映画の巨匠イ・チャンドン監督作品全6作(『バーニング 劇場版4K』『ポエトリー アグネスの詩4Kレストア』『シークレット・サンシャイン4Kレストア』『オアシス4Kレストア』『ペパーミント・キャンディー4Kレストア』『グリーンフィッシュ4Kレストア』)と、彼の制作の原点に迫る新作ドキュメンタリー(『イ・チャンドン アイロニーの芸術』)を4Kで堪能する、初の本格的特集上映。(一部劇場は2Kでの上映)
井之脇 海/1995年11月24日、神奈川県横須賀生まれ。9歳から子役として活躍、日本大学芸術学部では映画を学ぶ。2008年、映画『トウキョウソナタ』で複数の新人男優賞を受賞。近年の出演作として、第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品『ONODA 一万夜を越えて』(2021年)ほか、NHK大河「いだてん」、連続テレビ小説「ちむどんどん」、ドラマ「義母と娘のブルース」、「クロサギ」、「今際の国のアリス シーズン2」、「ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と」、連続ドラマW「0.5の男」、「ああ、ラブホテル 〜秘密〜」舞台「エレファント・ソング」「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」など。待機作は映画『almost people』、ドラマ「にんげんこわい2 品川心中」。 Instagram: @kai_inowaki
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イ・チャンドン/1954年4月1日、韓国大邱生まれ。教鞭を執る傍ら、小説家として活動し幾つかの著書も出版。43歳の時に、『グリーンフィッシュ』で監督デビュー。続く『ペパーミント・キャンディー』では現在から過去へ時間を遡る方法で、1人の男の人生をエモーショナルに描き、韓国のみならず海外でも上映され、世界中でその名を知られるようになる。『オアシス』では、男女の究極の愛を描き、ヴェネチア国際映画祭で監督賞、主演のムン・ソリは新人女優賞に輝いた。2002年、韓国文化観光部の長官に就任する。その後、『シークレット・サンシャイン』を発表。過酷な運命に翻弄される主人公を演じたチョン・ドヨンは、カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞する。その後、『ポエトリー アグネスの詩』がカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、『バーニング 劇場版』が同映画祭で国際批評家連盟賞他、多数の賞を受賞。新作を発表するごとに、国内外から注目を浴びている。
井之脇海さん着用:シャツ¥68,200、パンツ¥53,900/STUDIO NICHOLSON(STUDIO NICHOLSON AOYAMA)
からの記事と詳細 ( イ・チャンドン監督はどうやって映画で“本物”を作る?ー井之脇海の ... - ELLE JAPAN )
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